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田嶋幸三の評判について!無能という噂や若い頃の経歴も

time 2018/05/23

田嶋幸三の評判について!無能という噂や若い頃の経歴も

こんにちは、ワールドカップ開催をわずか2カ月後に控えた4月9日、代表監督であるヴァヒド・ハリルホジッチ氏の解任が発表され日本サッカー界に激震が走りました。

サッカー界の歴史を振り返っても、ほとんど例がない今回の解任劇。

批判の矛先は、日本サッカー協会会長の田嶋幸三氏に集中し大きな話題となっています。

いったい田嶋幸三氏とはどういった人物なのか、この記事は評判や経歴についての内容となっています。

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田嶋幸三(たしま こうぞう)氏のプロフィール

生年月日:1957年11月21日

年齢:60歳

出身地:熊本県天草郡→東京都世田谷区育ち

現役時代のポジション:FW(古河電工)

学歴:浦和南高校→筑波大学体育専門学群

監督歴:U-16日本代表(1999-2000)、U-17日本代表(2001)、U-19日本代表(2002)

選手時代(若い頃)

1964年の東京オリンピックをきっかけにサッカーに興味を持ち、サッカーの虜になったといいます。

1976年1月の第54回高校サッカー選手権で浦和南高校主将として全国制覇を達成します(これが最後の関西開催、首都圏に移転した翌年の大会でも浦和南が連覇)。

体育教員になるのが夢だったということで、筑波大学へ進学。

大学4年の時、日韓戦の前座試合で大学選抜の日韓戦に出場し、当時の日本代表監督・下村幸男の目にとまり日本代表に選出されました。

1980年6月に中国の広州であった国際サッカー大会では渡辺正監督の下で先発出場し、初戦の香港代表戦ではゴールを決め勝利しています。

大学卒業後、古河電工へ入社。日本サッカーリーグの古河電気工業サッカー部(現ジェフユナイテッド千葉)に所属します。

選手を続けながらも、体育教員、いつかは教える立場になりたいという思いが消えず、入社して間もなく、ドイツのケルンにあるプロクラブ、1.FCケルンに短期留学します。

練習、トレーニング、施設の素晴らしさに感銘を受けます。

古河での3年目に、筑波大学の大学院でコーチ学を学ぶために、大学院に通いながらプレーしますが、この3年目(JSL1982年シーズン)を最後に退社。

そして25歳で現役引退。

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選手引退後

新たな進路は当時のスポーツ科学の最先端、西ドイツのケルン体育大学への留学。1986年までここで学び、帰国後は母校の筑波大で体育学で修士号を得ました。

また当時、長谷川健太選手、中山雅史選手、井原正巳選手等が在籍していた蹴球部への指導にもあたり、関東大学リーグ優勝に貢献と同時に自身の指導方法を確立します。

以後、立教大で講師から助教授、さらにもう一度筑波に戻って客員助教授と、学術研究の道へ進みました。

その一方、1993年から1996年には日本サッカー協会(JFA)強化委員会委員(1994年からは副委員長)に就任して強化プログラム策定に従事します。

1996年から筑波大学客員助教授として、S級指導者養成にかかわるなど、指導委員会委員、1998年より技術委員会副委員長と強化担当ポストを歴任。

そして1999年、大学や社会人を含め、自身でも初めて監督としてU-16日本代表を率いる事になりました。その後フル代表になった藤本淳吾などがいたこのチームはアジア予選を突破し、2001年には矢野貴章らを加えてU-17世界選手権にも参加(トリニダード・トバゴ開催、1勝2敗でグループリーグ敗退)。

そのままU-19代表監督にも持ち上がり、2002年のアジア選手権を勝ち抜いて翌年のワールドユース出場権を獲得しましたが、技術委員長への就任により大熊清に監督を引き継ぎました(ワールドユースでは川島永嗣、今野泰幸、徳永悠平らが出場)。

2002年、JFAの常務理事兼技術委員長となり、サッカー界の強化や対外折衝の中核として活動していきました。

2006年のドイツW杯後は専務理事に昇格し、中学・高校生年代の育成学校、JFAアカデミー福島(2011年の福島第一原発事故後は静岡県内で活動)の開校など多くの改革を開始します。

また、2007年にはAFC(アジアサッカー連盟)競技委員とJOC(日本オリンピック委員会)理事(※2013年からは同常務理事)、2011年にはAFC技術委員長と、JFA以外の組織でも次々と要職を得てきました。

そして、2010年には小倉純二会長の下で副会長(2012年までは専務理事も兼務)となり、2015年に2度目の挑戦で念願のFIFA理事に当選。

そして、2010年には小倉純二会長の下で副会長(2012年までは専務理事も兼務)となり、2015年に2度目の挑戦で念願のFIFA理事に当選。

2016年より日本サッカー協会(JFA)会長に就任され、FIFA理事、アジアサッカー連盟理事、東アジアサッカー連盟会長も務めています。

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評判について(無能という噂)

ここまでエリート街道まっしぐらという感じですが、今回の解任については

「歴代の中でもダントツで無能だと思われる」

「無能田嶋」

というコメントがあります。

さらに田嶋氏に関しては、就任当初から会長としての資質に疑問を持つ関係者が数多く存在していました。

田嶋氏が会長になってから、人事改編が行われます。

  • 日本サッカー界の功労者であり自身と会長の座を争った原博実専務理事(当時)と、霜田正浩(元技術委員長・ナショナルチームダイレクター、現レノファ山口FC監督)の降格人事。
  • 対立者の影響力を弱め、自身が操りやすい人物を入閣。
  • 田嶋氏は自分の色を出したがる人物で、霜田氏が招聘したハリルホジッチ氏には、当初から良い印象を持っていなかった。

ということが言われており、「このタイミングでの解任も、言い訳づくりと責任逃れの側面が大きいのではないでしょうか」なんてことも言われていました。

報道陣に対しても排他的だったという声があり、以前、田嶋氏を含めた協会の体制批判を記事にした記者がいました。

その内容が田嶋氏の逆鱗に触れ、その記者は結果的に閉め出されるなど、いわば“恐怖政治”といえる体制だということです。

また協会の人間も「不満があっても、田嶋氏は執念深い人なので、口に出せない」と怖れていると囁かれていました。

さらに田嶋氏が会長に就任する以前、サッカー協会内で派閥争いがあり、それに敗れ退任という形となった犬飼基昭元会長が2010年に、暴露的なインタビューをおこなった「サッカー批評issue49日本サッカー協会前会長・犬飼基昭氏のロングインタビュー」では

  • 川淵氏は犬飼会長の後継者として田嶋氏を推したが、犬飼氏は反対し、外部登用を求めた。
  • 犬飼氏は田嶋氏を評価していない。「ありゃ、ダメだ。」
  • 田嶋はブレる。その場その場でいろんな人にいい顔しているだけでアイデアもない。
  • 川淵と田嶋は密接に繋がっており、犬飼が評価していない事を田嶋自身は知っていた。
  • 田嶋は、裏工作をして反犬飼勢力の拡大を図った。
  • その結果、川渕に次の会長候補を聞かれ、田嶋は一番ダメといった犬飼への対策として、会長推薦委員会(川渕名誉会長が委員長)の設立、理事への犬飼降ろしの根回し、規約的な嘘をついての犬飼氏の名誉会長不就任工作。これを田嶋氏が行ったらしい。
  • 田嶋氏の次期会長(小倉会長の次)はそれによって完全な規定路線となっている。

等の内容を語っていることも、田嶋氏の評判の影響に繋がっていると思いますね。

私なりのまとめ!

ワールドカップの結果がどうなるかわかりませんが、これからのサッカー協会会長、田嶋幸三氏の動向から目離せないですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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